CGNの創立メンバーで、現在はCGNのアドバイザー。環境教育プログラムに関しては継続して現場で指揮を執っている。抜群の企画力と実行力で、日比のスタッフ、ボランティア、インターンをけん引し続けるCGNの屋台骨。
立教大学社会学部卒。日本で雑誌編集者や放送作家として活動後、1996年、結婚を機にフィリピンに転居(今は離婚)。2001年のコーディリエラ・グリーン・ネットワーク創立時より2017年まで代表(ディレクター)を務める。Kapi Tako Social EnterpriseのC.E.Oも兼任。
<インタビュー>
Phil Portal「バギオで生きる20年」
WORLLI
「フィリピンの奥地で温故知新教育、環境NGO代表、反町眞理子」
「フィリピンでコーヒー栽培?アジアコーヒー市場の可能性とは」
ベンゲット州国立大学(BSU)森林学部教授。マウンテン州タジャン町カヤン村出身。カンカナイ族。CGNがフィリップ・モリス社のCSR事業として請け負っているイロコス州、ラ・ウニオン州などでの植林事業のコンサルタント。まじめでいつもニコニコしているが、森林学部では厳しい教授としてつとに有名とか。コーディリエラ地方で活躍する数々のフォレスターを育ててきた。
フォレスター(森林官)。マウンテン州タジャン・カヤン出身のカンカナイ族。ベンゲット州国立大学(BSU)森林学部卒業。CGNが2006年にマウンテン州での事業でフォレスターを公募していたときに応募。そのときには採用されなかったが、自ら「LAKON」というNGOを結成し、仲間とで苗木作りにいそしみながら、ボランティアでCGN事業の現場をサポートし続けてくれた。2007年より、専門家・フォレスターとしてCGNのメンバーに。その後は環境教育、コミュニティ・オーガナイズ、フェアトレード、コーヒー焙煎など、新分野にもチャレンジし活躍の場を広げている。2017年アラビカ・コーヒーの国際的な評価資格Qグレーダー取得。コーディリエラを代表するコーヒーの専門家となった。
ルーツはマウンテン州サガダのラ・トリニダード育ちのカンカナイ族。CGNの「グリーン奨学金プログラム」担当。農業省のCHARM事業担当職員が本業ですが、自らも奨学金で大学を卒業した経験から週末を利用して奨学金プログラムを担当。経済的問題を抱えながら大学で学び職を得、家族やコミュニティを助けたいという奨学生たちの心強いおかあさん的存在。ガハハと豪快な笑いはいつもまわりを愉快にさせてくれる。セント・ルイス大学(SLU)でソーシャル・ワーカーの資格を得て施設などで働いた後、ベンゲット州国立大学(BSU)の農学部で修士課程と博士課程を修了。勉強熱心な農学博士。農業省の事業でコーディリエラ全域を回っているのでネットワークと顔の広さはぴか一。CGNのご意見番的な存在として奨学金以外の事業でもサポートしてくれている。
2012年のマウンテン州サバンガンでの環境教育プログラムにボランティアとして参加。ボントク族とイバロイ族の血を引いているが、バギオ生まれのバギオ育ち。大人になってから先住民族としてのアイデンティティに目覚め、山岳地方でのコミュニティ調査に関わってきたそう。バギオの若手ライターたちのグループ「Ubbog Cordillera Young Writers」のメンバー。環境教育プログラムのファシリテイター、スタディツアーのコーディネイターとして活躍中。
ベンゲット州カバヤン町出身イバロイ族。町役場に職員として勤務しながら、若者たちの「ユース・クラブ」を主宰し、環境、文化、リーダシップなどさまざまな分野において次世代のカバヤンを率いる人材育成プログラムを行ってきた。現在はベンゲット州政府の教育関連部署(トリニダード町)に勤務。
彼のカバヤンでの活動があって、CGNはカバヤンで環境教育から有機農業までさまざまな事業を行ってきた。コーディリエラ・ユース・エコサミットなどの環境イベントの司会など、本業休んできてくれる心強いボランティアスタッフだ。野外自然教室ファシリテイター養成ワークショップや演劇ワークショップなどにも積極的に参加。ファシリテイタ―としての腕にも磨きがかかっている。
ベンゲット州トゥブライ町アンバサダー村出身。環境教育ファシリテイターとしてCGNの過去の事業に参加。その後、双子の母となり子育てしながら、環境教育ワークショップにファシリテイタ―として参加。
コーヒー専門家。コーヒー栽培からカッピングまでコーヒーのすべてに関する専門知識をもつ稀有なスペシャリスト。大学の卒業論文でコーヒーをテーマに取り上げたことをきっかけにコーヒーにのめり込みました。卒業後、自家焙煎珈琲店で修業し、焙煎と抽出の専門技術を身につけたのち、コーヒー生豆問屋に転職。世界各国から輸入されるコーヒー豆を毎日50種類以上カッピング。微妙な香りと味を生み出すコーヒーの栽培現場を知りたいと、2013年よりフィリピン・ベンゲット州国立大学(BSU)に2年間留学を決意。
留学中は大学の研究施設でフィリピン・コーヒーの品種や栽培条件を学ぶ一方で、CGNのコーヒー栽培事業地を頻繁に訪れ、栽培現場の実情を学びながら、環境にあったコーヒー栽培のあり方、収穫後の加工の仕方を、農家と四つに組みながら研究。その後、様々なコミュニティで農家を対象に、コーヒーに関するあらゆる講習会、ワークショップを行ってくれました。まだまだ発展途上のフィリピン・コーヒーの発展のため、エアロプレス・チャンピオンシップで審査員を務めるなどマニラでも活躍。フィリピンでは「Hiro, Coffee Man」として広く知られるようになっています。
2015年帰国後、(財)わかちあいプロジェクトの「ミャンマー国カヤ州における森林農法、有機農法による コーヒー栽培と森林保全~持続可能なコミュニティの構築」事業の指導者として、ミャンマーにも活動地域を拡大。また、認定NPO法人「ピース・ウィンズ・ジャパン」が東ティモールで実施しているコーヒーの生産性向上事業にも、コーヒー栽培指導者として加わっています。
また、NPO法人平和環境もやいネットとCGNがコーディリエラ地方で開始した「アラビカ・コーヒーの品質向上のための基準づくりと普及事業」のコーヒー専門家として、山岳地方のコーヒー栽培指導を継続しました。現在、拡大・発展を続けているCGNのコーヒー事業は、山本氏のコーヒーに対するパッションからの献身的なコミュニティでのボランティア指導のなしにはありえませんでした。
現在もアジアの知られざるコーヒーを日本のマーケットに紹介するため、複数の若者たちのコーヒー店と提携して、精力的に活動を続けている山本氏です。
・わかちあいプロジェクト「ミャンマー・コーヒー・プロジェクト報告」➡
・山本博文の北ルソン・コーヒー探訪記➡
シアター・プラクティショナー、野口体操講師。劇団黒テントを経て、企業組合演劇デザインギルドに所属。主に、演劇を人々の生活の中で活かし演劇の可能性を広げる応用演劇の分野で幅広く活動している。
コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)の環境教育プログラムで2012年に山岳地方で青少年と教員向けの演劇を活用した環境教育ワークショップのファシリテイタ―を皮切りに、コーディリエラ地方での教育演劇の普及に貢献している。
「ルソン島北部山岳民族の子供たちを対象とした演劇を活用した環境教育プログラム」(りそなアジアオセアニア財団助成)のメインファシリテイタ―を2014年より3年間担当。いまやCGNの環境教育事業には欠かせない存在。2016年より、「フィリピン、インドネシア、日本の青少年を対象とした環境問題をテーマとした演劇ワークショップ事業」(国際交流基金アジアセンター助成)のメインファシリテイタ―。コーディリエラ地方で継続してきた環境問題をテーマとした演劇ワークショップを、スマトラ島アチェ、長野県上田市にも拡大中。
その他の主な仕事に水俣病公式確認50年事業、創作劇「水俣ば生きて」構成演出(2006)、インドネシア(アチェ)で紛争後の和解と再生にむけた青少年の演劇ワークショップ(2007〜2010)、障害のある人たちとのグループ「みなせた(水俣世田谷交流実行委員会)」(2007〜)、ロンドンでホームレスの人びととの演劇活動、および受刑経験のある女性たちの教育プログラム調査(2010〜2011)。世田谷パブリックシアター「地域の物語」ワークショップ企画進行(2014〜)、NPO法人ぷかぷか「みんなでワークショップ」企画進行(2015〜)。
ロンドン大学ゴールドスミス校芸術学修士。武蔵野美術大学非常勤講師。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。
舞台演出家。フィリピノ語通訳、翻訳家
演出作品は、ほぼフィリピン劇作家の作品。ほとんどの作品にもフィリピン人俳優が出演し、 タガログ語での劇の演出も多く手掛けている。演出作の翻訳も多くは自身が手掛けている。2002年から文化庁在外研修員としてフィリピンに留学し、PETAで1年間インターンとして活動。そのままフィリピンにはまり、2003年から7年間、バギオ市の北ルソン比日基金(ABONG)で日系人子女への演劇ワークショップをボランティアで開催するなど、日本での舞台俳優、演出家の経験をフィリピンでの演劇教育に貢献する一方、タガログ語による演出作品をCCPなどで手がけてきた。
2009年~2011年にはコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)主催の環境問題をテーマとした演劇ワークショップでコーディリエラ山岳地方各地で青少年向けのワークショップのファシリテイタ―を務めてくれた。持ち前の明るいキャラクターと、ブラックジョークの連発で山岳民族に大人気のファシリテイタ―。
2011年、CGN主催の先住民族青少年演劇グループ「Aanak di Kabiligan」日本ツアーには手弁当で参加してくれ、舞台監督として青少年たちの公演を力強うバックアップしてくれた。
2010年に日本に帰国後は、フィリピノ母語支援員として、日本の学校へ通うフィリピン人子女の通訳・翻訳業務で活躍中。
2015年、CGN主催「フィリピン・ルソン島北部マウンテン州の教職員を対象とした環境教育指導員養成事業」(地球環境基金助成)の環境演劇ワークショップのファシリテイタ―として、久々にフィリピンで演劇ワールドに復帰。2016年には、CGN主催の「フィリピン山岳地方の子供たちを対象とした演劇を活用した環境教育事業」(りそなアジアオセアニア財団)にてファシリテイタ―を務めてくれた。
<そのほかの主な活動>
1970年7月20日、滋賀県大津市に生まれる。
1994年、劇団「転位・21」に俳優として参加。1作に出演。
1995年、劇団「燐光群」に俳優として参加。その後約20作に出演。
1999年、Philippine Educational Theater Association(PETA)演劇ワークショップ参加(マニラ・バギオ)。
2000年、「燐光群」所属のまま演出助手・舞台監督としての活動を始める。
2002年、文化庁在外研修員としてフィリピンに留学(一年間)……PETAでインターンとして活動。
2003年、北ルソン比日基金(ABONG)で日系人子女への演劇ワークショップ開催(以後7年間継続)。
2004年、初演出作品「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」(タガログ語劇オムニバス)を発表。
「Walang Iwanan(離れられない)」 作:Rene Villanuva
「1000ng tula pala sa dibdib ni Dulce(ドゥルセの胸に千の詩を)」
(作:Lallie Bucoy)
「S.B.F.(代理母ビジネス)」 作:Vic Torres
2005年「フィリピンひとりぼっち」(タガログ語一人芝居オムニバス)を演出。
「Taong Glasa(ヤニ男)」 作:Anton Juan
「Usapan Babae(女の話)」 作:Chris B. Millado
2006年「フィリピン ベッドタイムストーリーズ・2」を演出。
「Unang Aswan(アスワン=フィリピン吸血鬼の誕生)」作:Rody Vera
「Hubad(それで裸になったつもり?)」 作:Liza C. Magtoto
「フィリピンパブで幸せを」 作:内田春菊
2006年 国際交流基金、CCPら共同主催公演「BAKERETTA」に技術監督として参加。
2007年「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ・マニラツアー」
同 燐光群を退団しフリーの演出家として活動を始める。
同 フィリピン国立劇場の演劇フェスで「Terroristang Labandela(洗濯テロリスト)」作:Debbie Ann Tan を演出。
2008年、フィリピン国立劇場の演劇フェスティバルで「空の匂い(Amoy ng Langit)」作:はせひろいち を翻訳・演出。
2009年 日比国際平和演劇実行委員会(JAPITAC)の立ち上げに参加、上演劇「ケノンロード(Kenon Road)」(作ベントゥラ・ビトット)を翻訳・演出
同 フィリピン国立劇場の演劇フェスで「台所のメディア(Kitchin Media)」作:山元清多 を演出。
2010年 フィリピン国立劇場(CCP)の演劇フェスティバルで「エバーさんに続け(Sundan natin si Ever san)」作:内田春菊 を演出。
2010年 CGN主催「3rd Cordillera Youth Eco summit」で「Home coming」を作・演出
2010年12月 CGN主催 4th Cordillera Youth Eco summitで「民衆の敵(An Enemy of the People)」(作:Henrik Ibsen)演出等総合的に参加
2012年のインターン。大阪・中崎町のミニシアター「AMaTo天然芸術研究所」のマネージャー、プロデューサーとして活動の傍ら、フリーで役者やシンガーとしても数多くのステージに立ってきた。結婚を契機に田舎への移住を決意したが、その前に新婚旅行としてバギオでの英語留学を選択。せっかくの機会なので長期に滞在し、英語だけではなくいろいろな体験しようと、妻を英語学校に残したままCGNインターン生に立候補した。日本での社会人経験を生かしてCGN活動の大きなサポートをしてくれた。帰国後、広島県尾道市向島で移住し、新生活をスタート。子育てをしながら、CGN日本事務局の仕事をサポートしてくれている。